
恐慌の中で生まれた「ブランドマネージャー」という発明。
高級石鹸が売れない時代に、何を変えたのか
配信日:2026年3月11日
1929年、世界は大恐慌に突入しました。失業率は急上昇し、家庭の購買力は激減。企業は広告を止め、開発を止め、守りに入りました。そのただ中にあったのが、アメリカの消費財企業プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)です。そして1931年、若き広告担当者ニール・マッケルロイが、のちに有名になる社内メモを書きます。
彼は理論家でも重役でもありませんでした。担当していたのはキャメイ。当時のキャメイは「美しさ」や「女性らしさ」を訴求する、やや高級寄りのブランドでした。しかし不況下では、贅沢と見なされる商品から削られていきます。広告予算も後回しにされがちでした。一方、同じ社内には「純粋・家族・信頼」を掲げるアイボリー石鹸があり、生活必需の象徴として強い地位を築いていました。会社横断の管理では、この違いが十分に戦略に反映されない。弱いブランドほど、横並びの判断の中で埋もれていく。マッケルロイは、自分のブランドが「不利なまま戦わされている現実」を直視していたのです。
若手の危機感が制度を生んだ
マッケルロイが書いたメモの核心はシンプルでした。
各ブランドに専任責任者を置き、競合を徹底的に研究し、広告・販促・売場まで一気通貫で担わせること。ブランドを会社の一部としてではなく、それぞれ独立した戦場にいる存在として扱うこと。
これは恐慌下での組織縮小ではなく、判断の粒度を細かくする発想でした。彼は会社全体の最適を語ったのではありません。自分が担当するキャメイがなぜ売れないのか、その理由を突き詰めた結果、構造の問題に行き着いたのです。しかもP&Gには、データを重視し、広告投資を惜しまず、若手の提案を検討する文化がありました。個人の危機感と、組織の「聞く耳」が重なったとき、ブランドマネージャー制は誕生しました。恐慌という巨大な外部環境に対し、P&Gは中央集権を強めるのではなく、ブランド単位に権限を渡した。巨大な不況に対して、「判断を小さくした」のです。
物価高のいま、何を思い出すべきか
当時のP&Gは、値下げ一辺倒にはなりませんでした。アイボリーソープやオキシドールは、価格よりも「家庭の安心」や「清潔という習慣」を守る方向に舵を切り、ラジオドラマを通じて生活時間に入り込みました。これが有名な「ソープオペラ」です。恐慌を永遠の現実と捉えず、いずれ回復する前提でブランドとの接点を維持し続けたのです。そして売れなかったキャメイの危機感から、ブランドごとに責任を持たせる仕組みを生み出しました。彼らは不況に対して一律の対応をしなかった。ブランドごとに戦場は違うと認め、戦い方を分けたのです。
では、いまの物価高時代に引き寄せるとどうでしょう。全ブランド一律値上げ、横並びのコスト削減、同質的なメッセージ。これは会社単位の発想です。しかし消費者はブランド単位で選びます。日常は合理的に削るが、ここだけは削らない。めりはり消費が進む中で、守る意味も戦い方もブランドごとに違うはずです。
1931年の教訓
1931年の教訓は明快です。環境が揺れるときに必要なのは、価格調整ではなく、ブランド単位での戦略再設計です。会社で動くのではなく、ブランドで動く。不況や物価高の時代ほど、判断を小さくしなければならない。それが、恐慌を生き抜いたブランドの現実的な戦略でした。ブランドマネージャー制は、強いブランドのためではなく、売れないキャメイの危機感から生まれました。環境が揺れるとき、組織を大きくするのではなく、判断を細かくする。その視点こそ、物価高のいま改めて思い出す原点です。











