
思考をノウハウ化するブランド戦略
配信日:2026年2月4日
言葉がないと思考も育たない。これは精神論ではなく、かなり実務的な話だと思います。多くの日本企業で、マーケティングやブランドの議論が「急旋回」する瞬間があります。それは「戦略の話をしているはずなのに、急に施策の話になる」ときです。本来ここには、その中間にある思考が存在していたはずです。それは戦略から施策に転換するために「流れをどう設計するか」「どのタイミングで動き、どういう時は待つか」。または「どの順番で動けばよいか」そして「どう終わらせるか」。これは戦略論でも施策(戦術)論でもありません。その中間にある「作戦」、つまりオペレーショナルな思考です。ところが、この思考プロセスを表す言葉が、企業の現場で見当たらないように思います。
職人の世界にある「説明されない判断」
これは職人と弟子の関係によく似ています。職人の世界では、いまでも「見て盗め」「体で覚えろ」という教え方が当たり前だと聞きます。そこでは、どこで力を抜くか、いつ手を止めるか、どの瞬間に勝負をかけるかといった判断が、言葉ではなく所作として伝えられてきました。これは決して悪いことではありません。一対一で、長い時間をかけ、同じ現場に立ち続ける関係であれば、極めて合理的な方法です。
ただし、その判断はあくまで職人個人の中に蓄積されます。どこで待ち、どこで踏み込むのか。その理由は本人には分かっていても「言語化」しにくい。つまり、判断の背景にある思考は、暗黙知のまま残り続けます。
OJTも同じ構造
日本企業が重視してきたOJTも、基本構造はこれとよく似ています。仕事は現場で覚える、先輩の背中を見て学ぶ。このやり方自体が間違っているわけではありません。しかし問題は、後輩や部下に何を学ばせたいのか、どの判断を引き継がせたいのかが、言葉として整理されないままOJTが行われていることです。
その結果、現場では「言われたことはできるが、自分では決められない人」が増えます。なぜ今回は売らないのか、なぜここで間を空けるのか、なぜ今は動かないのか。その判断はベテランの頭の中にあり、流れは暗黙知のままです。戦略は立派に存在しているのに、戦術に落とす段階で、職人的な判断が個人技として使われ、共有されないまま消費されていく。これでは再現性は生まれません。
「何をやったか」よりも「どういうやり方を、なぜしたか」
これをマーケティングの現場に当てはめると、例えばヒット商品を生む会社と生めなくなった会社を見比べても、市場分析の精度や調査量に決定的な差があるわけではありません。違うのは、「次にどんなことをやるか」ではなく、「どうやるか」「なぜか」を言語化できているかどうかです。
事実、言葉がない組織では、こうした判断が「なんとなく」「経験的に」「説明できないけど分かる人だけが分かる」能力になっている。そして言葉にならない能力は、引き継げません。引き継げない能力は、組織の力にならない。マーケティングでもブランドでも、本当に効いている会社、または有能な個人は「何をやったか」よりも、「どういうやり方を、なぜしたか」を後から語れます。いま多くの現場で起きているのは、思考が浅くなったのではなく、思考を育てる言葉が失われた状態なのだと思います。
思考をノウハウとして認識する
マーケティング・カンパニーといわれる会社ほど、その途中に職人的な判断が数多く使われる実態があるのはしかたがないでしょう。ただ、その判断を「センス」や「勘」で終わらせず、「これは流れを設計するノウハウだ」「これは時間軸に基づいた判断だ」と言葉として認識できると、未来につながる資産・ノウハウになるといえます。戦略の巧拙ではなく、思考を資産にできているかどうか。ブランド戦略の実力差は、実はここに現れていると思います。











