
ブランドの脳内体験戦略とはなにか?
配信日:2025年5月28日
「見ただけで、食べた気がする」「音を聞いただけで、香りまで感じる気がする」。そんな体験を生み出すのが、いわゆる「脳内体験」です。これは、現実に体験していないにもかかわらず、映像や音声を通じて、視聴者やユーザーが五感レベルで何かを感じ取ってしまう状態のことを指します。ブランド戦略において、この脳内体験をいかに設計するかは、近年ますます重要なテーマとなってきています。
五感を刺激するASMRの活用
とくに注目されているのが「ASMR(Autonomous Sensory Meridian Response)」です。ささやき声、カサカサという包装音、ズズッとすする食音など、聴覚を刺激することで快感や没入感を与えるこの技法は、広告やブランディングの現場で幅広く使われています。
たとえば1997年の永谷園のお茶づけ海苔のCM、「ただいまお茶づけ中」編は記憶にある方も多いのではないでしょうか。このCMは、電話のベルが鳴る中、一心不乱にお茶づけを食べる男性の姿を映し出すというシンプルな内容ながら、その食べっぷりが注目を集めました。出演しているのは、実際に東急エージェンシーの松村雅史さん。当時の永谷栄一郎社長が、タレントの代役としてお茶漬けをおいしそうに食べる松村さんの姿に惚れ込み、正式な出演者として起用されたという経緯があります。
タレントではなく実際の広告代理店の若手社員が、お茶漬けを無言でかきこむだけの映像。このCMが優れていたのは、“言葉”ではなく、“音”と“仕草”によって「お茶漬けのうまさ」を脳内に再生させた点です。つまり、見る人の五感と記憶を呼び起こし、「食べていないのに食べたような気にさせる」成功例でした。
食品以外での脳内体験事例
食品業界に限らず、自動車、家具、家電、さらにはIT製品にまで、脳内体験を活用したブランディングは広がっています。
たとえばBMWは、電気自動車「iX」のプロモーションで、ドアの開閉音やインテリアの質感音などを収録したASMRショート動画を展開しました。視聴者に実際に車に触れているような錯覚を与える演出で、感覚的な魅力を訴求しています。
また、IKEAは大学生向けの「Oddly IKEA」というASMRキャンペーンで、シーツの質感や収納棚の開け閉め音を強調し、商品の心地よさを“触れていないのに触れたような”感覚で伝えました。これらは視覚・聴覚を使って製品の使用感や情緒価値をあらかじめ疑似体験させる設計です。
なぜ脳内体験は効果的なのか
脳内体験が効果的である理由は、実際に体験しなくても「体験したつもり」になることで、購買意欲や試用意欲が自然と引き出されるからです。人の脳は、現実と想像の区別が意外と曖昧です。記憶と感覚の結びつきによって、過去の経験や既知の感覚が「今、まさに起きている」ように錯覚されるのです。つまり、ブランドが伝えたい体験を、先に脳内でシミュレーションしてもらうことで、購買前の心理的ハードルを下げ、実際の行動へと自然に導いていくことができます。ただ商品の情報を伝えるのではなく、「体験したような気にさせる」こと。これこそが、今後ますます重要になるブランドとの新しい接点なのではないでしょうか。