職人の歴史とブランド
配信日:2023年2月8日
日本企業のモノづくりや品質志向を探っていくと「職人が尊敬される文化」に行き当たるように思います。「職人」という言葉。ここに清々しさや神聖さを感じる日本人は多いのではなでしょうか。日本人のモノづくり好きはここから来ていると思います。古くは陶工や刀鍛冶職人、大工の棟梁や酒造りの杜氏などもそうでしょう。それらの職人が生み出す工芸品や芸術品は古くから権力者たちに愛され尊敬されてきました。
そこで海外ではどうか。いくつか調べてみました。海外で職人といってすぐに思い出すのはドイツのマイスター制度でしょう。中世からある、主にハムやソーセージなど食肉加工品やビール、または木工製品など手工業職人の組合制度です。中世では職人の見習いはマイスターのところに住み込みで腕を磨くのが一般的だったようです。やがて職人が増えたために競争が激しくなり利益を損なうことも出てきたために組合や資格制度が生れました。ここから職人というのは「喰える職業」だったのだろうなと思います。その後も職人文化は脈々と受け継がれ、いまでもドイツ製品の品質の高さや精巧さは手工業品に限らず自動車や刃物、医薬品や医療機器など工業品でも高く評価されていますね。ひょっとするとドイツ人というのは日本人に近い職人観を持っているかもしれない。彼らもまたモノづくりや品質重視の高い価値観を持っていると言えるのではないでしょうか。
アングロサクソンの代表格イギリスではどうか。イギリスのギルドも有名ですね。中世、都市部では靴職人や服飾職人など手工業職人たちが支配者や監督者に対抗して団結し、これをギルドと呼びました。おそらく彼らは職人ではあるものの上層部の人間からは「労働者」と見られていたのではないかと思います。いわゆる労働組合の原点のように感じます。日本の「尊敬される職人」とは真逆のイメージがあります。更には19世紀の産業革命によって機械化が進み、職人は自らの仕事を奪われる危機に直面することになります。いまの「デジタルが仕事を奪う」問題と同じですね。結果、労使対立は激しさを増すようになり、職人は技術や伝統の伝承よりも「労働者」の性格を強めました。職人そのものの存在も軽んじられたに違いありません。
そして米国。この国の職人はとてもユニークな印象です。そしてITが跋扈する現代にも通じる性格を感じます。19世紀初頭の移民の国では人手不足が大きな問題でした。職人はそれを解消するべく「機械の発明」に熱中するようになります。今でいえばDXなどで省力化・生産効率を劇的に改善する発想ですね。いまでも米国発のイノベーションや発明は多いですが、米国の職人にも当時からその気質があったようです。よって米国の職人を喩えるなら「イノベーター」となるかもしれないですね。
興味深いのはイギリスの職人が機械を脅威と見なしたのに対して、米国の職人は機械を補完的な存在とみなし積極的に使ったことでしょう。目的は拡大するばかりの需要を満たすだけの製品を速く効率的に生産することと、消費者が手にする価格を競合以上に下げることだったようです。その分野も工芸製品に限らず家具、農業器具、加工食品、衣服、日用雑貨と生活全般におよびました。余談ですが、アメリカのピザがイタリアのPizzaと何故、ああまで違うカタチなのかを理解出来たように思います。ピザですら工業製品とみなし生産の効率化のために画一的になったのでしょう。そして20世紀にはフォード・システム(生産方式)で一つの完成形、「脱職人」のレベルに至ります。これが様々な国に輸出され米国的な生産システムやライフスタイルを作り出したのでしょうね。