自分の死亡記事を書いてみる
配信日:2017年01月16日
知人の経営者が初の書籍を出版することになりました。書籍を書くことの大変さは言うまでもありませんが、私の経験からいうと、書籍の最後に出てくる「著者紹介」も同様に難しいものがあります。自分のこと(自分ブランド)を冷静に見直す非常によい経験。または自分ブランドをより魅力的に、しかも端的にまとめなければならない「引き算の作業」そのものです。
人間とはおかしなもので、自分のことが一番わからないのです。私自身もそうです。時々、自分の支離滅裂さや「パブリックの顔」と「プライベートの顔」、「昼の顔」と「夜の顔」のギャップに苦笑いすることもあります。ブランドなんてものを扱っているのに、つくづく自分とは矛盾に満ちた不思議なやつだと思います。これが今の私自身の私像です。
一方、書籍の著者紹介では、そのようなことに寛容になりながら「プロフェッショナル」として魅力的に自己紹介しなければなりません。またこれまでの実績をベースに書くだけならまだ良いのですが、著者とは(特に処女作を献上する時の著者の心情とは)その一文によってある程度、世間のイメージを作ってしまうので、どうしても今よりも大きく見せようとする傾向も、正直あります。ここが難しいところです。
私が助言したのは「自分の死亡記事を最初に書いてみてはどうか」ということ。つまり「過去の自分」をベースに作文するのではなく「未来の自分」をヒントに現在のプロフィールを書くというプロセスです。これを「フューチャー・プロフィール」と言っても良いでしょう。そしてそのプロフィールを持つ人物(自分)の肩書やタイトルを付けるとしたら、どのようなものが相応しいか。
確か私の処女作でのタイトルは「ブランディング・マーケター」でした。しかしその後、何冊か書籍を出すに従ってそれは変化していき、いまでは「経営者、ブランド経営コンサルタント、著述家、講演家」となっています。これは私が当時、フューチャー・プロファイルを書かずに、その時々の自分を棚卸していたから出てきたものです。正直、拡張的で、成長・進化していると言えば聞こえは良いですが、本当の私は何かと自分でも思います。そのような反省もあり、フューチャー・プロフィール(死亡記事)を先に書いてみてはどうかと勧めたのでした。
知人経営者氏は「面白いですね!」と言って乗ってくれましたが、助言した私自身もフューチャー・プロフィールに大いに興味を持ちました。私たちはお互いにそれを書くことを正月休みの宿題にしました。「一体、自分は今後、どのような人生を歩み、何を達成するのだろうか」「私が死ぬとき、世間から私はどのように評価されるのだろうか」・・・。
そして実際に書いてみました。夜中に文章がどんどん溢れてきてベッドにいられなくなりました。正直、驚きました。手が勝手に筆記するのです。現在の職業やライフスタイルの枠組みを超えて、もちろんプロの仕事人としてのアイデンティティも超えて、抽象的ではあるけれど「本質的な自分」というものが一気に書き上がりました。その時間、わずか10分程度です。公表するのはあまりに恥ずかしいので止めておきますが、そこには矛盾に満ちた自分も包含してしまう「美しさ」が見て取れました。同時にいまの自分を許せる「寛容さ」も覚えました。これこそが私が望んでいる私なのだろうという感覚がありました。
みなさんにも勧めます。ちょっとした自己発見の機会です。日々の忙しさにかまけてなかなか考えることのない自分の行く末を、あたかもそれが達成されたかのようにゴール(死亡時点)から回想して書き出してみる感覚。または新聞記者が自分の死亡記事を書くとしたらどうなるかというクリエイティブな感覚。まだ検証は出来ていませんが、このように「回想してみた」ことでおそらく本当にそうなるのだろうなと直観的に確信します。数年後に、これを検証してみたいと思います。