コロナ禍で得たもの
配信日:2021年12月8日
今年も気付けば年の瀬です。コロナ禍になってちょうど2年。もうニューノーマルという言葉すら色褪せるほど今の生活スタイルはノーマルになりました。思い出せば、コロナ禍になったばかりの時は世の中が「これからどうなるのか」と身構えながら「ああでもない、こうでもない」と未来を模索したものです。いまこうして、ある程度の収まりと「慣れ」を経てみると、当たっていたこともあるし見当違いだったこともあります。それはそれで良いでしょう。ただ僕自身を振り返ってみると確実に変わったように思います。なによりムダな気遣い、ムダな仕事、ムダな繋がりなどがよく分かったことで、意思決定がシャープになったように思います。やはり人と会わないことが大きかったでしょう。
特にムダな仕事は本当に受けなくなった。半年ほど前、誰もが知っている大手商社の食品事業部、確か菓子製品の新製品開発・新規事業立ち上げの案件を紹介されたことがありました。これは僕のど真ん中の案件でもありました。そこで意気揚々と先方に伺いました。すると、ずいぶん横柄で尊大な、55、6歳くらいの担当事業部長なる人物が現れました。一通り話を聞いて、僕はその場で仕事を断わりました。詳しい要求や発言は書きません。ただ、こんなおっさんと2週間も一緒にいることは出来ない、もっと働くべき顧客がいると「こころのアラーム」が警報を出したのです。さすがの僕もその場でノーを言ったのはこれが初めてです。「こんな人物のために時間を使うのは僕自身に対する不誠実だ」。おそらくその人物にとっては何故、即断されたのかまったく理解できなかったでしょう。紹介してくれた人には悪いことをしましたが、そこはしっかりと説明して理解してもらいました。
「自分の人生に責任を持つことだ」。自分で考え、自分で判断し、自分で行い、自分で検証する。こんなふうに思います。誰しも大人になればそうして生きているように思いますが、実際には「他人まかせ」で生きていることも多いのではないか。例えば紹介してくれた人が誰々だから仕事を受けるなど。それだけではありません。「誰かがこう言ったからこうした」とか、これらはよくあることだけれど、同時に「他人まかせ」とはこういうことだと思います。自分勝手になることを勧めているのではないけれど、他人まかせはラクだし思考停止になりやすい。思考停止に陥らないこと。誰かに自分の人生のハンドルを握らせることになります。つまり利用されても自分を利することは出来ない。この自覚ができると人生は途端に上向きます。まずお金持ちになれる。次に指導者になれる。最後は人生で本当に大事なことに集中できるようになります。