コロナ下での時間の使い方
配信日:2020年12月16日
今年は時間の使い方が随分と変った一年だったと思います。時代が大きく動き、在宅勤務はもとより、デジタルで副業、または「復業」するひとも増えた。そんな中、家での仕事の時間管理に悩むひともいるし、「家だとちゃんと仕事が出来ない」というひともいます。企業の多くは一部の、例えば高度プロフェッショナル制で働く人たちを除き、これまで時間管理型の労務制度を取り入れていました。同時にこれが労働生産性を低迷させる原因とも言われてきました。テレワークは一種の裁量労働制であり、在宅勤務をするすべての個人に「自律的であること」を促進するメリットもあるようです。
優先順位の捉え方もちょっとばかり変わったかもしれない。優先順位は「繁忙期」を前提にした概念だと思います。時間のないなかで「緊急度と重要度の高い仕事」に取り組むことですが、なによりコロナ下では時間に若干の余裕がある(笑)。逆にその余裕が不安を呼び起こすこともあります。僕らのようなミドル・シニアの世代は尚更だと思います。これまで会社で追われるように働いてきたが、ここにきて突然、定年を迎えたような感覚のひともいるでしょう。これは何を意味するのか?ここに優先順位の新しい定義を見ることが出来ます。ワーク・ライフバランスの良い生活を志向すること。いまや優先順位とは近視眼的に仕事を処理するコンセプトではなく「仕事とプライベートの緩急をつける概念」に変ったのかもしれない。
この話を考える時、僕が思い出すのは、政変によって突然解任され、山荘にこもった頃のマキアヴェッリです。彼は挫折から「君主論」の脱稿まで実に5ヵ月でやり遂げた。しかし当時の生活は仕事とプライベートの緩急をみごとにつけたものだったと思います。『早朝ベッドを離れて森に出かけ、きこりたちの仕事の監督をする。時には泉のほとりでダンテやペトラルカの詩に読みふける。昼下がり、居酒屋にたむろする村人と気のおけない雑談や賭けごとに夢中になり、時のたつのを忘れる。(中略)だが、日が暮れると生活様式は一変する。在職時代の官服に着替えて、威儀を正して書斎の人となる。約四時間、古典をひもとき、古代の著述家と心の対話をする。原稿にペンを走らせる。ここでの初仕事は「君主論」の姉妹編の「ディスコルシ」、正確には「リウィウスの初巻十篇をめぐるディスコルシ(論考)」であった』(君主論:新訳/池田廉訳 中公文庫)。
このような生活は現状、コロナ下での時間の使い方に通じるように思います。特に在職時代の官服に着替えて執筆するあたり、彼の気持ちが見えてきます。セルフ・イメージをかつてのものに正し、気分を瞬間的に切り替えてプロの仕事をする。マキアヴェッリはわずか5カ月で本を書いたけれど、余裕(時間)があればこそ出来た仕事だとも思います。スピード感。集中力。些末なことや雑事が少ない環境であれば、だらだら仕事をせず一気呵成に仕上げることもそれほど難しくないのではないか。これもやはり在宅をするすべての人に当てはまるメリットかもしれない。