僕のベーシック・インカム体験
配信日:2020年12月2日
欧州を中心にベーシック・インカムの検討が進んでいるようですね。以前から格差社会だったことに加えて、このコロナ禍で収入を絶たれることも現れてきた。そんな中、ベーシック・インカムによって安心した生活が送れるのはとても魅力です。一方で反対意見もあるようです。「なんで金持ちにも配るのか」という富の再分配問題、国の負担という財源の問題、更にはいくつかの国での社会実験で「大した効果はあまりなかった」というデータを持って反対するひともいるらしい。ただしこれらの議論をしてもベーシック・インカムが再度出てきているところに、いまの世相がよく出ていると思います。そのような賛否両論のなか、イタリアやスペインでは変形の福祉制度を導入(検討)しているようです。
格差社会。正直、大嫌いな言葉ですが、日本もその現実に向き合っていることを認識するべきと思います。なぜ格差社会が生れたかというとグローバリゼーションが根本です。この30年間、1991年のソ連崩壊をきっかけに世界中が資本主義的な価値観を持ち、同時に金融、インターネットによる情報、更に移民など労働力のグローバル化が起こった。中国のような新興国もすごい勢いで伸びていった。同時にグローバリゼーションはリーマンショックのような世界金融危機も連鎖的に引き起こし、結果、世界的に中流層が没落しました。これらに日本も飲み込まれていったのです。仕方ないことだったと思います。グローバル経済では日本だけ鎖国(無関係)でいることは出来ません。新自由主義の肯定。規制緩和や規制撤廃、生産拠点の海外移転や技術移転、派遣社員の活用や雇用の流動化など、その流れを加速する施策を取らざるを得なかった。これらの結果が「いま」です。
そんな状況だとグローバル化や資本主義そのものに懐疑的な目を向けるようになるのもよく分かります。そもそもは資本主義を突き詰めると「持てる者はもっと富み、持たざる者はもっと悪くなる」という状況になってしまうようなのです。近現代の資本主義国家の歴史では、その反動として福祉国家や社会主義的な思想が台頭してきたし、それに対して戦ってきた、または導入し失敗した歴史もあります。いまの時代も資本主義の冷徹さが目立ち、「国が助けてくれたら」という願望を持ちやすいかもしれません。いま世界中が「自国にあった資本主義や自由主義」を模索しています。
ベーシック・インカムと聞いて、僕が自分ごととして思い出すのは「大学生の頃の仕送り」です。ありがたいことに両親は月々8万円を送ってくれていた。あのお金は地方から東京に出てきた僕にとってのベーシック・インカムでした。当時、それまでの仕事を辞めたばかりの父には大変な出費だったと思います。しかし、あのお金のおかげで僕は貧しい思いもせずに物価の高い東京で一応の生活は保障されていた。まさしくベーシック・インカムでした。一方でアルバイトもしました。入学して早々にやったのは学校近くの居酒屋の店員、夏休みはホテルで住み込みのバイト、年末は夜間の印刷工場でのカレンダー詰め、そして年明けは学生向けアルバイトニュースのチラシ配りでした。しかしどれも稼ぐという点では全く不足だったし、健康を害したり、仕事自体に「働く意義」を見つけることが出来ずに結局、すべて辞めてしまった。なにより「こんなことをするために東京に出てきたのではない」という思いがありました。このようなことも今の社会で悩むひとに当てはまるかもしれない。それでも親からの仕送りがあったおかげで、気兼ねなく学生生活を送れたことに感謝しています。ベーシック・インカムは賛否両論あって今後、導入されるとしても時間がかかりそうです。しかし身近な誰かに手を差し伸べるのは意外と簡単に出来るのではないか。僕も取り組んでみます。