志村さんの訃報と父のこと
配信日:2020年4月1日
悲しい訃報があって、意気消沈しながら自宅でメルマガを書いています。思えば、志村けんさんは僕がこの人生でファンになった最初のタレントでした。小学校の頃、僕らは東村山音頭や、給食時には「ケンちゃんの健康牛乳」をマネして、毎日のように先生に叱られていたものです。僕らのようなドリフ世代にとっては喪失感が半端ない。ありがとうございました。ご冥福を祈ります。
実は、いまのタイミングで父親の病気の見舞いによく田舎に帰ります。コロナではなく悪性リンパ腫です。5回ほどの入退院を繰り返し、その間に薬を変えながら投与を続けています。県病院に入院していて、母親や弟は毎日のように見舞いと看病に来院しています。母も弟も父と同じく大変だと思いますが感謝しています。僕はというと、新幹線で1時間半の距離ですので、出来るだけ見舞いに行くようにしています。
いまは少々、辛い治療をしている時期なのですが、面会時の父は至って元気で「本当に病気ですか?」とすら思います。そして昔の早大生らしく、いまのコロナや各国の対応についてなど持論を話してくれます。息子としてはそういう話を聞くのも親孝行というか、看病の一環で、僕が帰る時にはいつも元気な声で「またな」と言ってくれます。
先日、そんな父が凄いことを言っていました。「いま徒然草を英語に翻訳しとる。あんたの知り合いの出版社から出版してもらえんか?」。元々、父は高校の頃から古文が得意で、入院で持て余す時間を英語のブラッシュアップに使っているとのことでした。父は英語なんか使う生活ではなかったし、社会に出てからずっと全国を飛び回る営業マンでした。だから読んでみると父独特の英文ではあったけれど、この状況でも何か目標を持って生きる姿に感銘を受けました。そして目標をもって生きているうちは「この人は大丈夫だな」と、あらためて思ったものです。
父はそんなふうですからまだまだ生きると信じていますが、今回の志村さんのことと父の状況がオーバーラップして、「人間はコロナであろうと何であろうと、いつかは死ぬ時が来るのだ」ということを考えずにはいられません。おそらく死ぬ原因は生まれてきたことだと思います。生れてきた以上、僕たちは全員、必ずいつかは死ぬ。だから死ぬその日まで今日を生きることに全力を尽くしたいと思います。