ゴーン氏は何故、実行してしまったのか?
配信日:2020年1月8日
1月8日の会見が楽しみです。ゴーン氏はおそらく自分の正しさを証明しようとするだろうけれど、彼がつかの間の自由を得る一方で、逃亡に関係した数人が刑に服することになる。今後、その数はもっと増えるでしょう。場合によってはレバノン政府の内政や外交にも害を及ぼす可能性がある。日本の裁判所のメンツも丸つぶれで躍起になって迫ってくる。頭のいいゴーン氏にしてみたら、これらは想定内だったと思うのです。少なくとも自己のキャリアを大事にするゴーン氏のことだから「自身が逃亡犯になる」「それで事は済まない」ことを考えないはずはなかったと思うと、僕が興味を持つのは「何故、それを実行してしまったか」です。
いや、単に理不尽な逮捕と拘束から暴発したとか、または「ゴーン流の逆襲」や「自由への渇望」だとしたら話は簡単です。しかし僕が思うのは、それ以上に「ヒーローであり続けたかった」のではないだろうかということです。彼は逃亡犯になることなど怖くもなんともなかった。それ以上に、自分は誰もが知る経営者であり実績のあるヒーローだと考えていた。そういう人物はどこまでいっても、どんな最悪な状況でもヒーローであろうとするのではないか。つまり「自分らしくあること」。そのためには何者を犠牲にしても、誰に迷惑をかけようとお金をどれだけ使おうと構わない。逆に、自分らしくいられないことの居心地の悪さはストレスです。多くのひとはそんなストレスも慣れてしまえるかもしれないけれど、自分らしさに絶対的な独自の美学を持つ人にしてみたら、それは居心地の悪さどころか、死にも匹敵する敗北。ゴーン氏もそうだったのではないか。
ゴーン氏に限らず、ひとには多かれ少なかれ「独自の美学」があると思います。世間の価値観からしたら「?」と思えることも、または「ありえない」と思えるようなことですら、本人にとっては「かっこいい」となる。僕からしたら「逃亡犯なんてまっぴらだ」と思えることも、ゴーン氏にしたら「かっこいい」のかもしれない。Netflixに独占契約の話を持ち掛けるなど、その証拠そのものではないか。
「かっこよさ」というのは人それぞれということだと思います。同じことは沢尻エリカさんの逮捕の時にも思いました。捜査官が自宅に押し掛けるもなかなか薬物を見つけられなかった時に、なんと彼女自身から「ここにあります」と差し出したという。逃げられるその瞬間に何故、そんなことをしたのか?僕の勝手な想像ですが、彼女は「堕ちていく自分」に独自の美学を持っていたのではないかと思います。そうやって世間に衝撃を与える自分にぞくぞくしていたのではないか。以前、ヘルタースケルターという彼女が主演した映画を見たせいか、トップ女優に上り詰めた自分が「堕ちてゆく」のをどこかで望んでいた、憧れていた、かっこいいと思っていたような気がしてなりません。
今回の事件でゴーン氏が世界に示したことは何だったのか。おそらくするであろう「自分は正しいのだ」という主張は、つまり何を意味するのでしょう。「ひとは全てをかけてでも、自分らしさにこだわることが出来る。世間の常識やルールに反しようと、自分の美学に忠実に生きることが出来る」ということではないかと思います。この点は僕たちが学んでも良いことではないでしょうか。