職人は変われるか?
配信日:2017年01月23日
ドラッカーの「マネジメント/エッセンシャル版(ダイヤモンド社)」に3人の石切り工の話が出てきます。『三人の石切り工の話がある。何をしているのかを聞かれて、それぞれが「暮らしを立てている」「最高の石切りの仕事をしている」「教会を建てている」と答えた。第三の男こそマネジャーである』(同137ページより)
ドラッカーは「組織が人を間違った方向に持っていく要因」の一つとして「技能の分化」を挙げ、その警句としてこの話を取り上げています。つまり、第一の男は「単純労働力」です。報酬を仕事の目標と考えていて、事実それを得ていますが、このレベルでは人の上に立つことは出来ないとしています。そして第三の男こそ人の上に立てる人物(マネージャー)であるとしています。
問題は第二の男です。この男は「職人」です。これは企業のなかでも見ることが出来ます。なにも(寓話のような)製造業に限りません。サービス業でも非営利企業でも、製造ラインのスタッフであろうと会計係だろうと、製品開発担当者だろうと営業マンだろうと、業務が細分化された大きな組織では良く見かけます。細分化され過ぎると目の前の作業そのものが目的になるわけです。もちろん、どのような仕事であれ熟達することは大事です。そして組織(上司)もそれを求めます。しかしこの寓話の例をとるなら、たとえ石切りという単純作業であっても職人は「最高の石切りの仕事=大きな仕事をしている」と錯覚することがあるのです。これがドラッカーの危惧する「技能の分化」です。
職人は自らのやり方に固執することもあります。一方で、自分の仕事の意味について組織や市場のニーズの視点からマッチングが見つからず悩んでいることもあります。私の見たところ、職人とはこのようなジレンマを感じながら生きているようです。一体、職人は単純作業でも「大きな仕事をしている」という錯覚を打ち消すことができるのか。
職人はある意味、ルーティンワークの達人です。どんな職業でも当てはまると思います。しかし一方で、ひとはルーティンワークだけで満足できるのかという素朴な疑問もあります。本当はもっとわくわくしながら、それこそ自己の成長のために不確実な仕事に挑戦したいのではないか。これを「プロジェクト」と言います。ルーティンワークの対義語だと捉えています。
プロジェクトの多くは事業全体にかかわるテーマを扱うことです。サラリーマン時代も含め、私の経験では色々な部署から「これは」と思われる人材が集められ、自分の専門分野を持ちながらもより高い視点から取り組むことになります。周到な準備と徹底した議論のなかで部分最適でない全体最適の回答を求めるアティチュードが身に付きます。
ここに職人自身が自らの殻を破るチャンスと機会があります。そのような環境を与えることによって、職人(人間)が持っている本来の成長欲求を促し自己改革を始めるきっかけになるようです。これがプロジェクトの効用であり職人をビジネスマンに変えるプロセスなのです。