命について

配信日:2015年4月8日

4月5日は母親の誕生日でした。71歳になります。岐阜の実家で父親と一緒に元気に暮らしています。私はメールで簡単なメッセージを送りました。「誕生日おめでとう。これからも元気で。いつもありがとう」

息子の照れくささもあり、なかなか本当に伝えたい言葉を伝えられないもどかしさがあります。親子というのは、どこまでいってもそんなものかもしれませんね。

しかし、本音では両親がいてくれたおかげで、小さい頃から面倒を見てくれて、立派な教育も受けさせてもらえ、いまこうして社会で働けていることを考えると、この感謝を伝えるのが恥ずかしい気持ちに、大いなるもどかしさを感じます。

同時に「命」について考える機会でもありました。親がいてくれて命をもらえた。命という言葉には「たくさんの思い」が込められていると思います。使命、運命、天命、宿命、または命がけや一生懸命など、私にとって命という言葉は「根源的な何か」を感じさせる言葉です。

親が子供にする最初のプレゼント、それは「命名」ですね。同時に、これほど難しい仕事はありません。その子がこれから幸せになるように、愛する者が素晴らしい人生を歩けるように、生まれたばかりの子供の将来を希望し、時に不安にも思い、そして一つの名前をプレゼントする行為です。

だから人から苗字ではなく、名前で呼ばれる時に、私たちは何か「魂が喜ぶような感覚」になるのかもしれません。そう呼んでくれた人との間に感じる親近感、共有できる何かがあります。おそらく名前には、私たち自身の根源的な美しさ、根源的な優しさ、根源的な賢さ、または人生でのミッション(使命)が表現されているのでしょう。

私の名前(与志朗)には「こころざしを与えられた男」という意味があります。私はこれを人生の使命と捉え、「こころざしを人に与える男」でありたいと願って生きています。そのような名前をプレゼントしてくれた親に、本当に言いたいのは「ありがとう。大好きです」という言葉です。ありがとう、大好きです。

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