さて、本当のところ、私たち自身が金のなる木です。

配信日:2013年12月24日

子供と夕食をとりながら、こんな会話をしました。「金のなる木はあるか、ないか」なぜこのような話になったかは、長くなるので言いません。中学生の息子は「そんな木、見たことない」という感じ。そういう年頃です。5年生の娘は「アマゾンにはあるかもしれない」(笑)

私の答え。「あるよ」

どこにー?!

「アマゾンにもあるし日本にもある。お店で売っている観葉植物は、アマゾンではただの木だけど、日本ではそのようなユニークな木だからこそ、高価な価格で取引される(金のなる木だ)。例えば、日本料理店で出てくるお膳には季節性を表現するために、柿の葉をあしらうことがある。あの柿の葉はちゃんとお金を払って業者から仕入れる(金のなる木だ)。ほら、ここにあるオリーブオイルだって、金のなる木みたいじゃないか。」

ある意味、「アマゾンにはあるかもしれない」は正解だったと言えます。私としては「モノの見方を変えると金のなる木も発見できる」という話をしたつもりでした。「これからはそういう目で自分の周りを見てごらん」

さて、本当のところ、私たち自身が「金のなる木」です。私たち一人ひとりは、独自の存在であり、必ずなんらかの価値を持っています。それはアマゾンの木にも負けません。ただそれが見えなくなっているひともいるかもしれません。自分に関する思い込み(金のなる木はない)があまりにも強いと、いつまでたっても自分自身を金のなる木とみなすことは難しいでしょう。

誰もが人生経験を経て、いくつかの可能性について学習をしてきていると言えます。これが思い込み(自分にまつわる世界観)を作り出している。仮に「誤解」であろうと、ポジティブな人生経験を積んできたと考える人は自分の価値を認めやすい。「そのような自分」でいられるラッキーな誤解です。逆に、人によっては、いつしか自分に対して「低い期待」しかしなくなってしまうかもしれません。「私には価値がない」これほど厳しい自己評価は他にないでしょう。

「私とは誰か」これは人生で最大の質問の一つです。同時に、パーソナル・ブランディングでも「私とは誰か」が最初の質問です。多くは「これまでの過去はどうだったか」を振り返り、そこから自分自身を見つめるのですが、時には上記のような弊害もないではありません。

必要なのは、これまでの人生経験に対する「解釈を変える」ことです。ちょっと振り返ってみれば、失敗だと思っている経験のほとんどは「素晴らしい学び」をもたらしてくれたのではないでしょうか。同じ経験がまったく別の意味をもつ可能性があります。すると、自分の価値を認めやすくなるでしょう。自分に対する、一種の赦し(ゆるし)かもしれません。

更に言うならば、人は本気でやる気になったら、いつでも変わることが出来ます。過去にどうだったかはどうでもいいのです。今、何をやっているかが問題なのです。過去がどうであろうと「あなたには価値がある」。私たちとは、常にそういう存在なのです。

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