これはまさしく、私の考えるパーソナル・ブランディングそのものなのです。
配信日:2013年11月18日
私にとってブランドまつり(ブラまつ)は、メルマガの読者の方々と直にお会い出来る機会であり、同時に少しでも多く、ブランドやマーケティングのことを知ってもらう場所でもあります。
さて、ブラまつでワインを飲みながら、参加者の方がこのメルマガについて直にコメントを下さいました。ビーエムウィンのメルマガは「企業コンサルタントが語るパーソナル・ブランディング論」をテーマにしていますが、「頂くメルマガはスピリチュアルな内容が多いですね」
そこで言いました。「パーソナル・ブランディングが自分と向き合う行為であるので、どうしてもスピリチュアルなことも関係せざるを得ません」
スピリチュアルという言葉に対して、いまではあまり抵抗なく受け入れる人のほうが多いように思います(願います)。一方で、スピリチュアルという言葉自体がまた曖昧模糊としている感も否めないではありません。
厳密にいうならば、スピリチュアルとは「本当の自分と向き合うこと」だと、私は考えています。なにもオーラが見えるだとか、そういうことではないと思っています。本当の自分と向き合い「自分らしさとは何か」「自分とはどういう存在(Being)なのか」「どういう自分であることが幸せなのか」を追求することだと考えています。
これはまさしく、私の考えるパーソナル・ブランディングそのものなのです。パーソナル・ブランディングとは「本当の自分と向き合い、自分自身のあり方を決める行為」または「それによって自分の価値を高める可能性をさぐり実行する過程」なのです。
日常のなかで嫌なことはたくさんあるとします。例えば、朝、奥さんや旦那さんから「なんでゴミの日に、ゴミを出してくれないの?」と突っ込まれたとします。相手はかなり怒っています。まるでゴミを出さないのはあなたの怠慢だと。その時に「だったら自分で出せよ」と反撃するか、「そうムキにならずに」と穏やかになだめるか。
どちらであっても良いのです。問題なのは「どちらの反応をする自分のほうが、自分にとって好ましいか」という点です。相手が悪いという議論は、ここではなしです。純粋に自分自身が、ケンカをする自分でいたいのか、温和に収める自分でいたいのかという問題。意外とケンカする自分でいるほうが自分らしいと考える人もいるかもしれません。しかしどこかで後悔する自分もいる。一体、自分はどちらが本当なのか?悩み、そして完璧に自分に正直になる時がくるかもしれません。
これが「自分自身のあり方を決める」ということ。好ましい自分を理解・納得して、そのような自分になれるように精神を訓練する過程。またはそのように振る舞うことで、やがてそういう自分に変身する(自己実現)過程でもあります。
その過程ではいろいろなことがあるはずです。例えば「穏やかな自分でありたい」と願うと(そしてそのようにまずは振る舞うと)、本当に穏やかな自分でいられるかどうかを「試されるような」事件や事柄が起き始めます。そのような状況のなかで、それでも穏やかであり続けられると、その時点でゲームはクリア。本当に穏やかな自分でいられるようになります。もう、試される必要がなくなるからです。
パーソナル・ブランディングとは、結局のところ、このゲームを一つずつクリアしようとしているのかもしれません。興味深いのは、意識的にパーソナル・ブランディングに取り組もうとそうでなかろうと、人生とはそのようなゲームを繰り返していく過程だということです。そして最後は「あがり(悟り)」が待っているのでしょう。
こんな話をしている私もまだまだ、そのゲームの過程にあります。ここでは私はゲームの解説をしているだけです。きっとパーソナル・ブランディングとは一生続く「あり方」の試みなのだと思います。