考えてみれば、子供の時のほうがストレスは多かったように思います。
配信日:2013年9月24日
最近、15歳の息子が90年代のJ-POPばかりを聞いています。それもZARDの「負けないで」とか、KANの「愛は勝つ」とか。笑
「ああ、きっと何か悩んでいるなぁ」と見守っています。そう、大人になると悩むことも多いもの。15歳はまさにそういう歳です。大人への端境期(は ざかいき)。悩むこと自体に価値がある時期。私たちもそういう道を通ってきました。そして今も続いています。仕事のこと、お金のこと、家族のこと、人間関 係、恋愛、将来のこと、キャリアのこと、そして・・・自分を発見すること。
最後の「自分を発見すること」ことこそ、現在、私の悩みといえば悩みです。笑
こういう悩みは尽きないのかもしれません。なぜなら、尽きてしまったらそこで楽しみがなくなるからです。まるで温泉旅館にある木製T字型パズルのよ うなもので、すべての問題が解けてしまうと、途端に興味がなくなってしまう。もしT字型パズルが人生を凝縮しているとしたら、生きている事自体の面白さが 終わってしまうとも言えます。
一方で、では悩みをずっと抱えている方がいいのかというと、それほどマゾヒスティックにもなれません。ここが人間の「矛盾する真実」そのものです。 悩みは続いたほうが良いけれど、すべての悩みを続けたいわけではない。それを解決していくことに、やはり達成感という快感を得られるわけです。
先週の金曜日は「ブランドまつり」でした。もう12回目を迎えました。この会はいつも楽しいのです。参加者の顔ぶれは、常連さん、初めて参加される 方、または時々参加される方のミックスです。毎回、30名ほどの方がお酒を飲みながら、ブランドやマーケティングの勉強をしに来られます。
大人になってよかったと思う瞬間が、ここにあります。ウソや策略のない人たちと一緒に、酒を飲みながらマーケティングについて語る。またはそのような雰囲気と話で会場全体が一体化する快感。
そして誰かと話しながら酒を飲んでいる自分。思い出すと、お酒の飲み方も随分、変わりました。酔うために飲むステージはとうに過ぎ去り、酒そのもの を勉強するために飲むステージも10年前には終わり、いまは自分の好きなものを分かって自分らしく飲むステージにいます。少々、飲み過ぎるのが欠点です が。笑
これも「酒」という何かを通じて自分を知る機会です。そのような体験を通じて、私は「自分の一部」を発見します。自分とは何かの答えは「自分は何をしている時が嬉しいか」に宿るように思います。その気付きがある時に、「ひとつ大人になった」と思えるかもしれません。
そう、「自分は何をしている時が嬉しいと感じるか」で自分自身を定義するのは良いかもしれませんね。嬉しさは人それぞれです。仮に「倍返し」を嬉し いと思うのなら、それはその人自身を定義することになるでしょう。他人がとやかく言うことではありません。ただ私はそういうのは好きではないというだけで す。
考えてみれば、子供の時のほうが、ストレスは多かったように思います。親や先生の期待に応えるにはどうしたらよいか、というパズルを解いていたようです。みなさんはどうでしょうか?やがて自分の人生を生きるようになってから、そのようなストレスもなくなりました。
立派なことを言うつもりはありませんが、お金も仕事も、人間関係の悩みも、ほんの一部でも解決することで自分を発見しているように思います。それも 比較的最近のことのように感じています。すると、仕事や人間関係のことで悩んでいる人の役に立とうとすら、思えるようになります。まるでT字型パズルの解 き方をシェアするようなものです。