73歳の誕生日を迎えた父は、ひとつの結論を出しました。
配信日:2013年4月22日
4月20日は私の父の誕生日でした。73歳になります。
朝一番に父にメールをしました。
「誕生日、おめでとう。
今日で73歳ですか。
すごいですね。
元気でこれからも過ごして下さい。
いつも感謝しています」
簡単なメールですが、身内に誕生日のお祝いメールをするというのは、こんなものじゃないかと思います。本当は「親であってくれてありがとう」とか「産んでくれてありがとう」とか書きたいなと思わないでもないのです。しかし、それは思っても、なかなか文字や言葉に出来ない自分がいます。単純に照れくさいのですね。電話でなく、メールで伝えたのも同じ理由。でも、親が亡くなってから後悔するだろうから、いつかちゃんと言いたいなぁと思っています。
一方、親のほうでは「そんなこと言わなくても分かっているよ」と思っているかもしれません。それは私の息子を見ていると、「親として」そう思います。詳しくは書きませんが、親子というのは案外、「言外のコミュニケーション」や「言葉を通じないコミュニケーション」むしろ「言葉を必要としないコミュニケーション」で成り立っているのかもしれません。
これを「ハイ・コンテクスト(高度な文脈)」と呼びます。「言わなくてもわかるよ」という状態。会社のなかでもそうですね。ハイ・コンテクストは同質的な社会でのコミュニケーションの傾向です。そうするのが当然、そう考えるのが当然であって、いちいち言葉にするのはまどろっこしいと感じる状態です。
日本人はおもてなしが得意だとよく言います。日本人のサービスレベルは世界一だと。しかもマニュアルなどなくても、そう出来てしまうことに驚きを覚える外国人は少なくありません。これもきっと日本が同質的な社会で「おもてなし」などという概念の定義すら必要としないからではないかと思います。むしろ、マニュアルはロー・コンテクスト社会(例えばアメリカ)の産物であって、日本人にはマニュアルなど向かないとすら感じます。だからマニュアルとしておもてなしをしているようなサービスを見ると、白々しさを感じてしまいます。
ただし、そうは言ってもすべての日本人がそうではないことも事実。親子の関係もまたしかりで、すべての親子がハイ・コンテクストであるわけではありません。ここが悩ましいところだし、企業が組織文化や社内コミュニケーションことで、または親が子供のことで、子供が親のことで悩む原因でもあります。
73歳の誕生日を迎えた父は、ひとつの結論を出しました。「会社をたたむ」と。私は大賛成しました。
父は49歳で脱サラして以来、24年、家族のために頑張って来ました。当時、私はまだ大学生でした。父は独立したばかりで、たいした仕事もなく、それでも田舎を離れて暮らす息子に月々8万円の仕送りをすることが、どれほど大変だったかと、いまでも感じ入ります。
その後、大変な苦労をしながら父は父の仕事人生を立派にやってきました。そして12年を二周した今年、やっと仕事を辞めることにしたのです。これからは私が恩を返す番です。まだまだ親にやりきれていないことがあります。それを粛々とやっていこうと考えています。