身近に感じるアセンションの話
配信日:2012年12月12日
今年はアセンション・イヤーだと言われていますが、実際には随分前からそれを感じている人は多いのではないかと思います。一番多いのは3・11の時からでしょうか?私たちの意識面での変化が如実に顕在化した瞬間だったかもしれません。
私自身、この数年間、正確には5年間ほども、2012年12月はどうなるのだろうと勉強してきました。人によっては世界の滅亡だとかノストラダムスの大予言のように、またフォトンベルトがどうのこうのと、わけのわからない現象を説明することもあるかもしれません。また人々の意識上の変化が起こるのだという説もあります。精神レベルが引き上げられる変化や、いままでの視点が変わり認識が書き換えられる変化。最初は意味がわかりませんでした。しかしいまでは「ああ、こういうことじゃないの?」と思うようになりました。
先日、アシスタントとアセンションについて話しました。「2012年のこの時期に日本は国内外の問題をたくさん抱えているね。例えば震災復興の遅れや原発問題は言うに及ばず、企業でも家電業界のように業績のよかったところが危機に瀕したり、日本の経済力というか国際的なステイタスが落ちたり、高々東シナ海の無人島を巡ってどうしようもなく強欲な人間の一面を見たり、国家的な敵意をあからさまに露出したり、政治の混迷どころか政治という概念の危機にまで及んだり、わけのわからない監禁や人殺し事件が多発したり・・・。これは今の日本をアセンションの文脈で考えると、どういうことなんだろう?」
もちろん、アシスタントも私も答えなど知りません。しかし「もし知っているとしたら」の前提で答えることが大事です。みなさんはどう思いますか?
まず、はじめに私が思うのは「好転反応」ではないかと。歴史を振り返っても、何かが生まれる前には必ず「混乱」があります。混乱があるから秩序が生まれる。秩序はやがて混乱を生む。単純な陰陽理論でもあります。今の日本の混乱は新しい秩序へのサイン。つまり好転反応だと思うのです。
では、この好転反応は私たち個人にどのような意味を持つのか?ここからがアセンションの話です。そもそも試されているのかもしれません。なにかというと、私たちがこのような混乱のなかで本来の自分自身を表現する場を与えられているのではないかということです。
よく「こういう自分でいたい」と思うことがありますが、そう思った途端に「そうじゃない状況」が出現することがあるように思います。身近なところでは、こんな企画をやりたいと上司にいうと反対されるとか。しかしそのような逆境は「こうありたい自分」を表現するチャンスでもあるのです。ちょっと抽象的ですが、わかりやすく言うと「ドロの沼に浮かぶ蓮の花」のようなものです。蓮が美しく見えるにはお花畑ではなくドロの沼が必要なのです。
僕らもそうだし、今の日本もそういうことだと、私はアシスタントに説明しました。あくまでも持論です。いまのような混乱のなかで私たちがどれほど本来の自分でいられるかが問われている。混乱に巻き込まれ、混乱と同じように醜い自分になるのか、逆に混乱を冷静に眺め「本来、望むべき自分」であるのか。あるいは混乱を活用して一段上の自分に変化するのか。要はあり方の選択肢を突きつけられているように感じるわけです。それを考えること自体も新しい視点と認識のインストールであり、もう一段高みに登るプロセスではないかと思うのです。
その選択肢のなかで、今まで以上の自分を選択することが、まさしく次元上昇(アセンション)なのではないかと思うのです。世の中の次元が上昇するのではなく、自分の次元(レベル)が上昇するプロセス。その舞台設定がいまの混乱状況。つまり自分自身の好転反応を毎日のように経験しているのではないかと思います。
さらにはそれを世界に向かって表現することかもしれません。本来の素晴らしい自分を世界に表現する。それが他人の行く道を照らす指針になることもあるでしょう。日本であれば、新しい価値観を持った国家として自らを示し、世界中の国が向かうべき道標になること。それが世の中を変えていくのではないかと。その時に自分レベルではない世の中レベル(地球レベル)のアセンションが完了するのではないか・・・。
私自身も「なんでこうも思うようにならないのだろう」と悩むことの多い一年でした。随分と仕事やキャリアの考え方が変化した一年でもありました。そもそもアセンションなどという形而上学的な話をメルマガで書くこと自体、いままで躊躇していました。独立して世間とつきあう上で、ましてや経営コンサルタントである以上、なにかこういうことは人前で話してはいけないように感じていました。しかしいまでは普通に話している自分がいます。このことが一番大きな身近に感じる変化かもしれません。