世の中、社会とは何か
配信日:2012年5月9日
5月6日は私の誕生日でした。44歳になりました。
フェイスブックやメールなどでとても多くの方々から「おめでとう」の言葉を頂きました。本当にありがとうございました。
あらためて「フェイスブックって素敵なものだな」と思いました。
誕生日にこころのこもったメッセージを頂ける。こんなに素晴らしいプレゼントが他にあるでしょうか?人間はなによりも「誰かが気にかけてくれている」ことが一番の愛を感じるもので、ソーシャルメディアを通じてそれを表現できることは本当に素晴らしい。誰かをいい気分にさせるのは、受ける側も与える側もどちらも本当にハッピーになるものです。
そういう意味では「いいね」ボタンも同じことですね。誰かのコメントを気にかけて共感の意を表現することは、その人に大いなる勇気を感じさせることでしょう。
日頃、フェイスブックをやっていて「世の中とはこういうものだなぁ」と感じています。
つまりテレビのニュースなどで見る世の中、社会というのは必ずしも「私にとっての世の中」ではなく、それはテレビを通じて目にする「一種の幻想」「ヴァーチャル社会」ではないかと思うのです。主観的な世の中ではなく、誰かに刷り込まれた世の中とでもいいましょうか、確かに事件は起きているけれど、それは私にとっての世の中とはちょっと違う。
では一体、「社会」とは具体的に何を指しているのか?
「類は友を呼ぶ」という言葉を考えてみれば、社会とは「呼ばれた友」そのもので、それは「私に見合った相応しい人達の集合」ではないかと思うわけです。
つまり、社会とは絶対的な存在として「ある一つの社会」が存在するわけではなく「人の数だけあるもの」というのが真実ではないでしょうか。フェイスブックにしても私は本当に知っている人としか繋がっていないし、その人達とは何らかの共通性や共感のあることが大前提になっています。これが私の社会です。
仕事でも同じことで、これまでたくさんのクライアントさんと接してきましたが、不思議なほど「いやなクライアント」というのがいません。(言葉が悪くてすみません。)一緒に仕事をする業者さんも同じこと。だから気持よく仕事をさせてもらえたのだと思っています。本当に感謝ですね。
私にとっては、まさしくこれが「世の中」であり「社会」なのです。さらに最近は家にテレビのない生活をしているので、尚更、悪いニュースも耳に入ることが稀です。
ここに「付き合う友達を選べ」という言葉の真意もあるのですね。テレビですら、その範疇に含まれます。
それはまさしく「自分の社会は自分で管理しなさい」というのと同じ意味だと思います。もし今の世の中が荒(すさ)んでいると思うのなら、試しにテレビを捨ててみてはどうでしょうか?私の経験では、特に困ることもありませんし、かなり気が楽になります(笑)。
「社会の一員として」という言葉を小さい時から聞いてきましたが、本当の上位概念は社会ではなく自分なのだと思います。そういう点では理不尽な社会など存在せず、それを選ぶ自分が存在するのみだと思うのです。
よって心機一転、何か新しい環境に身を置くには、付き合う仲間を変えてみるのが良い。新しい人達と新しい仕事をしてみることですね。
逆に、今の仲間を捨てる、などという話はあまりしたくないものですが、時にはそのような断腸の思いも必要かもしれません。まるで5年も6年も前の服が、すでに自分に似合わなくなったように、時には「友達を選ぶ」「顧客を選ぶ」ことも重要な決断だと思います。そしてこれはその仲間にとっても悪いことではなく、その人にはその人なりの社会が存在するのだろうと思います。
よくよく考えてみれば、自分の社会を見直すことは自分の成長に気づくことかもしれません。だから仲間を選ぶというのは感謝に通じるのだと思います。