電車のなかでの話
配信日:2012年5月2日
今週はゴールデンウィークで、会社ではなく家で読む方も多いと思うので、いつもより軽めの話をしますね。
先週のメルマガで「ビジネスとこころの関係」を紹介しましたが、その各論として私は「ゆるしの力」について考えていました。「ゆるしの力」というのは別名「器の大きさ」と言っても良いものです。成功している経営者は人間的な魅力にあふれていて、そのひとつの要素が器の大きさ。誰かが失敗してもそれを許す度量を持っています。
このような大きな度量(こころの状態)が良いビジネスを引き寄せているのではないか?という仮説ですね。ここには自分を許す度量も含まれるように思います。世の中には自分の過去の失敗をいつまでも引きずることで、その失敗経験から離れられない人もいます。その思い(こころの状態)から離れられないので、ビジネスでも頭を切り替えることができないわけです。
そのように考えると「ゆるしの力」というのは、まさに豊かさの象徴、成功者の資質であり要件のようにも思います。自分も他人も、起きていることを全肯定する度量の大きさが成功を呼び込む土台になっているのではないかと思うのです。
そのようなことを考えながら、私も「ゆるしの力」を身に着けたいと思いはじめました。
小雨が降る、先週27日のこと。
その日、私は朝10時からのクライアントさんとのミーティングに間に合うよう、9時に恵比寿駅りんかい線のホームにいました。新規案件のお話を伺うことになっていました。そのような矢先、20分経っても電車が到着しません。池袋で人身事故があったとか。「では山の手線で大崎まで出よう」
ホームを変え、ようやく来た山手線に乗りドアは閉まったものの、今度は停止して動かない状況になりました。原因はドアの開閉のチェックらしく30分以上、動きません。しかも車内で閉じ込められたままの状態で待ち続けることになりました。
10時には間に合いそうにありませんでした。先方のメールアドレスを必死で思い出しながらスマホで遅刻の連絡を試みるも、アドレスが違うらしくて届かず。車中に閉じ込められていて、その場で電話するわけにもいかず・・・。
人ごみの、まるで梅雨時のようにジメッとした車内の空気のなかで、正直、イライラしてきました。「何故、ドアを開けてくれないのか」「何故、止まったまま30分も時間がかかるのか」「何故・・・」
その時に、あっと思いました。「この状況をもっと大きな度量で眺めろ、ゆるしの力が自分にもあるところを、この状況で証明してみろと言われているようだ」
どんなに「ゆるす自分」でいたいと思っても、「ゆるしがたい状況」が出現しない限り、それを体現することはできません。ゆるしがたい状況でこそ「ゆるす」という行為が可能になるわけで、そうでなければ「ゆるす」という知識はあっても実感はわかないのです。
このように書くと、まるで私が「ゆるしの力」を求めたから電車が止まったように見えますが、事実、私にとってはそのとおりです。本当にそれを欲しているかどうか、問われたに違いありません。(きっと一緒に乗り合わせた他の人にはその人なりの止まる理由があったのでしょう)
苦笑しながら「ゆるす、ゆるすよ」とこころのなかでつぶやきました。すると、そう思った途端にドアが開きました。私は外に出てクライアントさんに電話をしました。9時56分でした。
結局、自分を変えるのは意識的な訓練かもしれません。自分の欲するもの(例えば、ゆるしの力)が手に入る瞬間(電車が理不尽に止まる)は日常の中にあって、まずはそれに気づく訓練。ここまでのロジックで考えるなら、たいていは欲しい物が手に入っていることを確認する状況(逆境)が提示されるのでしょう。
次に、逆境のなかで望ましい自分を表現する訓練。ゆるしがたきをゆるすことによって「ゆるす自分」を表現すること。結構、しんどいことが多いかもしれません(笑)。しかし、その逆境によって自らが本当に「なりたい自分」を実感し変身していけるのですから感謝するべきなのですね。今回のゆるしの力に関して言うと、そのような機会は欲しい物を求めた瞬間から与えられるようです。
このような訓練を様々な状況でこなし、やがてそれが習慣になった頃に逆境の出現もなくなるのかもしれません。同時にそれは自分自身が変身できた時だと思います。もう証明する必要がなくなったという意味ですね。