人を殺すことを正当化出来る感覚とは?

配信日:2011年

先日のロイヤル・ウェディングはとても華やかだったようですね。残念ながら私はほとんど興味がなく、ゴールデンウィークの初日だったこともあり、夜から映画をみに行きました。ただし観た映画はイギリス王室が舞台の「英国王のスピーチ」でしたが(笑)。

しかしそんな華やいだ話もつかの間、ビンラディンが射殺されたというニュースが世界中をまわり、ロイヤル・ウェディングも既に過去の話題になった感すらあります。驚いたのはニュースでみるアメリカ人の喜びようでした。確かに9・11で家族を殺され仲間を殺され、憎い相手だとは思いますが「人の殺害を喜べる感覚」はどんなものなのだろうかと、ふと思いました。いや、きっと同じように違和感を覚えたアメリカ人もいたことでしょう。しかしどんな理由があるにせよ、大統領をはじめ一般人まで、人を殺すことすら正当化できる国というのは凄いなと思います。率直に言うならば「狂気」に近いものを感じました。そもそも狂気とは何かという問題なのかもしれません。辞書で調べてみると「気が狂っていること。異常をきたした精神状態」とあります。しかし問題なのは一体何が「異常をきたした精神状態」なのかがよく分からないことです。特に狂っている本人達は自分がそうだということを認知できないのではないかと思います。私の定義では「狂気とは偏った見方のみが存在している状態。そこに疑問の余地を挟めない状態」となります。誰もがアメリカは正しいことをしたと思っている状態。明らかにバランスを崩している状態。

2億人の国民がそう思っているのであれば、さすがのオバマ大統領も自分のしていることを正しいと思うのは当然。これを狂気の産物と呼んでも良いと思います。社会的に偏った見方が社会的な狂気を生み出し、リーダーを狂気に駆り立てる。偽装事件や粉飾をする企業を見ていると、そのまま企業社会にも当てはまります。同じくビンラディン自身も狂気の産物だったのでしょう。反米感情が常識のイスラム社会では9・11を「聖戦」と捉えるのも充分納得できます。もし報復テロがあるとしたら、それもテロリズムではなく聖戦と呼ばれるに違いありません。狂気の反意語は実は「冷静」かもしれません。冷静にみてみれば、アルカイダもアメリカも狂って見えるのではないでしょうか?

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