感情を使った学習法

配信日:2012年10月31日

人は何かを学ぶ時、そのひとの最も得意な方法で学習をするのだと思います。例えば「本を読む」などは普通に思いつく学習法。私も何冊も本を読みます。しかし何冊も読むことで前に読んだ本の内容を忘れてしまうことって多くないですか?

これは学習したことになるのでしょうか?
「学習した気分」にはなれても「学習した」ことにはならないかもしれないですね。セミナーでも同じです。テキストが用意され講師が面白おかしく話をしてくれれば、その場では学習した気分になれるのですが、3日もすると半分くらいは忘れている。やはり学習したとは言いづらいかもしれない。

もっとも「記憶していなければ学習したとは言えない」というつもりもないのです。学習のポイントは「それによって今までの考え方や行動が改善されるかどうか」ではないかと思います。結局、そこが従来通りなら「進歩がないね」と言われても仕方ない。よく恋愛などで「本当、学習しないね」と言うことがあるじゃないですか。あれなどは「本当、いつも同じことをやっているね。進歩しないね」という意味ですよね。

さて、人は最も得意な方法で学ぶと話しましたが、実はこれ自体がクセなのだと思います。たいていは「視覚」「聴覚」「身体感覚」のどれか、またはいつくかを使って学ぶようです。本を読むことは「視覚」を使った学び方と思います。セミナーは「視覚」「聴覚」を使っていますね。そして多くの場合、この2つ感覚が学習の主役ではないでしょうか?

それなのに本の内容を忘れてしまったりするのは、多分、視覚だけを使った学習法そのものに問題があるのではないかと思うのです。セミナーも同じ事。視覚と聴覚だけでは難しいかもしれない。本当は「視覚」「聴覚」「身体感覚」すべてを統合的に使ったものが学習法としては最高です。

身体感覚を使った学び方と聞いて、何を思い出しますか?例えば自転車に乗れるようになるのは身体感覚による学習法です。でもよく考えてみると、身体感覚のみならず、当然、自転車の構造を知るために視覚も使っていますし、たいていは親などに乗り方を教わるので聴覚も使っています。その上で身体感覚も使って学ぶわけです。3つの感覚を統合的に使い学ぶとは、こういうことを言うのでしょう。

いやむしろ、身体感覚は視覚や聴覚よりも優っているかもしれません。盲目のピアニスト、辻井伸行さんを見ているとそう思います。少なくとも視覚は身体感覚よりも劣るのではないか?

いずれにしても、このように3つが組み合わさると、頭で理解するのみならず感覚で理解することが出来るようです。まさしく自転車ですね。感覚で理解したものは無意識に行動に変換できます。自転車に乗れる人は躊躇することはないのです。考えなくても勝手に身体が動く。まるで朝、パンツを穿くのに「どうやって穿くのかな」といちいち考える必要がないのと同じです。

もしビジネスや学校の勉強で、このような無意識レベルでの行動がとれるようになったら強くないですか?成功するマーケターがごく自然にやっていることが、あたかも自転車に乗るようにできてしまったら、ビジネスは間違いなくうまくいきます。そのようなことを可能にするには本を読んだりセミナーに行くだけでは不十分だとわかりますね。視覚や聴覚など一部の機能しか使っていないから忘れてしまうのです。

さらに言うならば、今の行動は無自覚なクセによる学習法の結果だとしたらどうでしょう。もしそうだとしたら、3つの感覚を使って自覚的な学習で、速攻で変われるのではないでしょうか。

感情を使って学習すると、忘れなくなるのですね。痛い経験を思い出して下さい。例えば大損をした経験。もう2度と同じ事は繰り返さないと思うものです。3つの感覚を使って学習したからです。結果、それは感情にインプットされ無意識レベルでの行動につながるわけです。

そのためには、繰り返しになりますが「視覚」「聴覚」「身体感覚」の3つを統合的に使うことが大事なのです。まずはそれらを意識することが重要かもしれないですね。

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