どれくらい与えているか?

配信日:2011年

「どれくらい与えているだろうか?」実は最近の私のキーワードはこれなのです。特に3・11以降はそうです。

ご存知のように3・11で日本経済は一時的に麻痺状態に陥りました。すべての産業が何らかの影響を受けました。被災地の方々はもちろん、その他の土地に暮らす人々も一種の間接的な被災者だったと言えるかもしれません。

私のクライアントさんも影響を受けました。プロジェクトが中断したものもありました。しかし何より大変だったのはコンサルティング契約の発注がぴたっと止まったことでした。

私は「これは一時的なものだし、こんな時ほどやる気の企業は依頼してくるものだ」と思っていましたが、なかなかそうもいきませんでした。

その頃の私は、仕事に関しては、かなり焦っていて、ネガティブ発想だったと思います。

「どうしたら仕事を取れるだろうか」「どうしたら支出を少なくできるだろうか」「どうしたら生き残れるだろうか」・・・。まったくブランド・コンサルらしくないことを考えていました。

しかし、面白いものです。
そんなことばかり考えていると、不思議と仕事は遠のき、予期せぬ支出が増え、ということが起きるのです。「震災で大変なのでプロジェクトはしばらく様子をみます」とか「長男が希望の私立中学校に合格した」とか「事務所の契約更新時期だ」とか。

これは一体どうしたことなのでしょう?
多分、一種のメッセージではないかと思うのです。「本来の自分を思い出せ」というメッセージです。人間は誰しも苦労するために生まれてきたのではないと思うのです。人間は本来、「絶対的豊か」を携えて生まれてきたのではないか・・・と私は思っています。

しかし自分のなかでその確信が薄れているので、それを思い出すために「豊かさとは真逆のシチュエーション」が提示されているのではないかと思うのです。そのような困難な状況のなかでどれほどの豊かさを示すことが出来るかが問われるわけです。

具体的には「どんどんお金を払う」ということが起きました。必死で払いました。しかし不思議と払えば払うほど、どこからか収入が入るのです。「どうだ、お金で困っているというが、これまで払えなくて困ったことがあるか?お前は豊かなのだ」と言われているようでした。事実、コンサルティングの依頼は以前のように戻りました。

視点が認識を作るのですね。一種のゲームのようです。本来の自分を取り戻すために、自分の望まない状況が提示される。それに対してネガティブ思考や受身になるのではなく、本来の豊かな自分を表現するような行動を示すと、確かに問題が解決する・・・。そして解決した問題は二度と目の前には現れない(と思います)。

物質的に本当に豊かであるとは、「与えても失わない」という確信があることに違いありません。つまり、どれくらい他人に豊かさを与えられるかは、どれくらい自分が豊かなのかを実感することと同義語なのですね。

仕事をもっと上手くやるためにも同じことが言えます。事実、私は仕事のやり方を反省しました。「自分はどれくらいクライアントさんに与えてきただろうか?」

仕事のやり方を見直す良いきっかけでした。「コンサルティングでの問題解決は果たしてコンサルタントの付加価値と言えるだろうか?」「そんなことは当然のことじゃないか」「クライアントさんは問題解決の他に+αを求めているのではないか」「それは一体何か」・・・。

最近の私の仕事は「楽しいと思ってもらえるかどうか」が基準です。これが+αの付加価値です。セッションをやって「楽しかった」とクライアントさんから言われるかどうか。そう言ってもらえたら最高の褒め言葉です。

コンサル屋が「楽しい」というフィードバックを予見するというのも、ちょっと楽しいと思いませんか?しかし楽しく遂行できたプロジェクトは、すべからく素晴らしい結果を残しているのです。

自分の仕事を見直すというのは、結局は「お客様の期待を上回るには?」ことを再考することかもしれません。「お客様の期待に応える」ではないのです。これはどんな仕事でも同じです。「ここまでしてくれるのか」と思ってもらえるかどうか。そんなことを考えながら仕事をしていると、物事が上手く回るようです。これは豊かさの話と本質的には同じです。

また困難が提示されるということは「そろそろこの問題も解けるだろう」という時期を示すものとも思われます。つまり「成功は近い」という意味ではないでしょうか?

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