プリウスのリコールについて思うこと

配信日:2010年

ブランドのリコール問題というのは最近では珍しいことではなくなりましたが、今回のプリウスのリコールはブランドの存亡にかかわるような、予想以上に大きな問題に発展してしまったように思います。

元々はアクセル・ペダルの不具合の問題だったと思いますが、トップマネジメントのマスコミ会見でのやり取りの拙さが火に油を注ぎ、アメリカではついにはトヨタという会社(ブランド)に対する強烈な不信感にまで世論が高まってしまったようです。

確かにトップマネジメントのやり取りのまずさはあったと思います。しかし私は今回の事件はアメリカの意図を感じずにはいられません。

そもそもアクセル・ペダルの問題は過去にも、アウディやシトロエンなどアメリカ社会でも起しています。しかしそれほど大きな問題にはならなかったのです。それはそれらのブランドがアメリカの自動車産業を脅かすような存在ではなかったからではないかと思うのです。しかしプリウスはいまやトヨタの主力製品で、ビッグスリーの更生を図りたいアメリカ政府としては、それを大問題にすることで「国益」に繋がると考えても不思議ではありません。

実はこの「アメリカの意図」の話はカナダの経済誌「フィナンシャル・ポスト(電子版)」でも取上げられています。同経済誌のコラムは、ラフード運輸長官が議会で「(トヨタのリコール対象車のオーナーは)運転をやめるべき」と発言した騒ぎについて、「前もって計算された動きにみえる」と指摘。トヨタ攻撃について、「ワシントン恒例の公開リンチ以上の気晴らしになる」と痛烈に批判しています。また国内の自動車メーカーからも「トヨタ擁護」の声は上がってきているようです。

歴史的にアメリカの自動車業界というのは政治家との癒着、マスコミとの癒着が強い業界のようです。

弁護士であり社会運動家のラルフ・ネーダーの事件は象徴的です。1965年、彼は「Unsafe at any speed(邦題:死を招く欠陥車)」という本を出してアメリカの消費者と自動車業界に衝撃を与えました。特にゼネラルモーターズ(GM)のシボレーコルベアについて、シートベルトなど安全装備に関して企業が軽視していることなどが主な論点ですが、これによってGMはネーダーを貶めるために探偵を雇いあら捜しを行いました。

しかし逆にネーダーはプライバシーの侵害としてGMを告訴。GMは賠償金を支払うこととなり、更には上院の自動車安全問題分科会への出席を余儀なくされ、ネーダーに謝罪すると同時にシボレーコルベアの生産中止を決定させられる始末となりました。

幻の名車といわれる「タッカー・トーピート」。フランシス・コッポラ監督によって映画にもなった「タッカー(1988年)」もアメリカの自動車業界のダークサイドを描き出しています。

『1948年、タッカーは満を持して人々の前に姿をあらわし、これまでにない反響を巻き起こした。 タッカーにはいろいろと不具合もたくさんあったが、それでもなお人々からは 今までにない先進的な車だと言われた。しかし、ビッグ3はタッカーの存在を快くは思わなかった。 このあまりに革新的な車は、確実に自分たちに脅威を及ぼすようになる。 そう思ったビッグ3は、露骨な政治的妨害をはじめた。 タッカーを誉めるような記事を書いた記者には仕事がこなくなり、タッカーの悪口ばかりが横行し、会社設立の際に公正取引委員会に申し込んだローンも却下され、 はては追い打ちをかけるようにデッチ上げとも思える詐欺罪で起訴されてしまった。 その容疑とは「説明書と異なる内容の車を売りつけた」というもので、結局、49年にタッカーは無罪となったが会社は倒産。車はわずか51台しか作られず、タッカーの名前はメーカーとともに歴史の闇に葬りさられてしまった』(自動車の世紀/折口透著・岩波書店)

まあ、今回のトヨタの問題もこのような「自分たちの利益・国益」を目的としたキャンペーンだという断定はできませんが、アメリカ政府の発言やマスコミの論調を見ていると、ネーダーやタッカーのようなケースと似通っているという実感があります。

コッポラ監督の映画「タッカー」では、主人公であるプレストン・タッカー(ジェフ・ブリッジス)が詐欺事件の最終弁論で陪審員に次のように言っているのが印象的です。『もし大企業が斬新な発想を持った個人を潰したなら、進歩の道を閉ざしたばかりか自由という理念を破壊することになる。こういう理不尽を許せば、いつか我々は世界のナンバーワンから落ち、敗戦国から工業製品を買うことになる』

私のお気に入りの映画でもあります。興味のある方は一度ご覧になっては如何でしょうか?

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